インターネット上の投稿や口コミについて、
削除するかどうか、発信者を特定しようか、
迷いながらも「もう少し様子を見よう」
という判断を続けている人は少なくありません。

それは、判断を避けているというよりも、
一度立ち止まって考えようとしている結果として
選ばれていることが多い判断です。

この記事では、
なぜ「様子を見る」という選択が、
合理的で、楽な判断に見えてしまうのかを整理します。

正解を示すための記事ではありません。
判断の仕方そのものを見直すための読み物です。

「様子を見る」は、何も決めていない判断ではない

「様子を見る」という言葉には、
決断を先送りにしているような印象が
含まれることがあります。

ただ実際には、
様子を見るという判断は、
「今は動かない」という意思決定でもあります。

感情的にならずに考えたい。
事態を大きくしたくない。
今すぐ結論を出すほどではない。

そうした考えの積み重ねとして、
様子を見るという判断が選ばれていることは
少なくありません。

判断を保留すると、責任も保留できたように感じる

判断を保留しているあいだは、
結果が出ていない状態が続きます。

削除請求してうまくいかなかった、という結果も、
発信者を特定しようとしてうまくいかなかった、という結果も、
何もしなくて悪化した、という結果も、
まだ現れていない。

そのため、
「まだ失敗していない」
「まだ間違えていない」
という感覚が保たれやすくなります。

削除や発信者の特定をする、しないと決めることには、
少なからず責任が伴います。

削除や発信者の特定を選べば、
相手の反応や、その後の展開を引き受ける必要がある。
何もしないと決めれば、
その影響を受け入れる覚悟が必要になる。

一方で、
「もう少し様子を見る」という判断は、
そうした責任を、
まだ引き受けなくていい状態にしてくれるように
感じられることがあります。

決めていないことで、
まだ何も引き起こしていない。
そうした感覚が、
心理的な負担を軽くします。

情報が足りない状態では、動かない方が安全に見える

インターネット上のトラブルでは、
状況がはっきり見えないことも多くあります。

相手が誰なのか。
どこまで見られているのか。
今後どう広がるのか。

分からないことが多いほど、
人は「分かるまで待つ」という選択を
安全な判断だと感じやすくなります。

動けば何かが変わる。
動かなければ、少なくとも今と同じ状態が続く。

そう考えると、
様子を見るという判断は、
もっとも無難で、
リスクの少ない選択肢に見えてきます。

「楽に見える判断」と「状況が動かない」は別の話

ただし、
判断が楽に見えることと、
状況が動かないことは、
必ずしも同じではありません。

自分が何もしていない状態は、
一見すると、
状況をコントロールできているように
感じられることがあります。

実際には、
何もしていないあいだにも、
投稿は表示され、
誰かに読まれ、
評価や反応が積み重なっていくことがあります。

自分が動いていないことと、
状況が止まっていることは、
必ずしも同じではありません。

自分では何もしていないつもりでも、
時間の経過や、
第三者の反応によって、
前提となる条件が少しずつ変わっていくことがあります。

様子を見るという判断が、
気持ちを落ち着かせてくれる一方で、
状況そのものは、
別の方向に進んでいることもあります。

様子を見る判断が続くときに、起きていること

様子を見るという選択が続いているとき、
多くの場合、
「決められない」のではなく、
「決める材料が揃っていない」
と感じています。

そのため、
判断そのものよりも先に、
状況を把握し直す必要が出てきます。

何が変わったのか。
何が変わっていないのか。
自分は何を一番避けたいのか。

こうした点が整理されないままでは、
判断は進みにくく、
様子を見るという選択が、
結果として長く続くことがあります。

様子を見るという判断が続いている状態は、
怠けているわけでも、
考えていないわけでもありません。

判断の入口で立ち止まり続けている状態だと
捉えることもできます。

この状態にあるとき、
人は「まだ決めなくていい理由」を
無意識のうちに探し続けていることがあります。

新しい情報が出てから考えよう。
もう少し状況がはっきりしてから判断しよう。
そうした考え自体は自然ですが、
結果として、
判断の入口に立ったまま
足踏みを続けていることもあります。

ここで起きているのは、
怠慢ではなく、
判断の準備段階が長く続いている、
という状態です。

次に読むなら

様子を見るという判断が続いているとき、
人は、
事実や正確さよりも先に、
別のものに強く反応してしまうことがあります。

次の記事では、
「事実かどうか」よりも前に、
気持ちが動いてしまう場面について、
もう一段整理していきます。