投稿トラブルについて相談を受けていると、
とても多くの場面で、
最初に出てくる質問があります。

「これって、違法なんですか」

削除できるのか。
訴えられるのか。
慰謝料は取れるのか。

多くの人が、
まずそこを知りたくなります。

それは、多くの人にとって自然な反応だと思います。

違法かどうかが分かれば、
やるべきことも、
選ぶべき道も、
はっきりするような気がするからです。

けれど、
実際の相談の場で話を聞いていると、

「違法かどうか」が分かっただけでは、
気持ちが整理されなかったり、
かえって迷いが深くなってしまったりする場面も、
少なくありません。

違法ではないと言われても、
どうしても納得できないことがある。

一方で、
違法だと言われても、
それだけで割り切れないこともある。

この回では、

「違法かどうか」と、
「正しいかどうか」は、
必ずしも同じではない、

という視点から、
投稿トラブルに直面したときの判断について、
もう少しだけ、
整理してみたいと思います。

違法かどうかは、「最初の問い」にすぎない

投稿トラブルに限らず、
何か問題が起きたとき、
多くの人がまず考えるのは、

「これって、違法なんですか」

という問いだと思います。

違法かどうかが分かれば、
やるべきことも自然に決まるはずだ、
そう思ってしまいます。

そう思ってしまうのも、
無理はないと思います。

けれど、
少し落ち着いて考えてみると、

「違法かどうか」は、
判断の出発点ではあっても、
それだけで答えが出る問いではないことが、
少なくありません。

法律は、
ある行為に線を引くための基準を示してくれます。

ここまでは許される。
ここから先は許されない。

その線を知ること自体は、
とても大切です。

けれど、
私たちが本当に知りたいのは、

「この状況で、自分はどうしたらいいのか」
「どうすれば、この問題を区切れるのか」

という点ではないでしょうか。

違法かどうかは、
そのための大事な材料の一つではありますが、

それだけで、
自分の気持ちが整理されたり、
問題が自然に解決したりすることは、
ほとんどありません。

ここから先では、

なぜ「違法かどうか」と、
「正しいかどうか」は、
必ずしも同じにならないのか。

その理由を、
少しずつ整理してみたいと思います。

法律は、「すべての正しさ」を決めるものではない

「違法かどうか」は、
とても大切な基準です。

法律は、
ある行為に線を引くための仕組みであり、

ここまでは許される。
ここから先は許されない。

その境目を、
社会の中でできるだけ公平に決めるための道具でもあります。

けれど、
法律が決めているのは、
あくまで

「この行為は許されるか、許されないか」

という線引きであって、

「それが本当に正しい行為だったのか」
「誰も傷ついていなかったのか」
「納得できる出来事だったのか」

といったところまで、
すべて答えてくれるわけではありません。

現実の出来事の多くは、

完全に白か、完全に黒か、

そんなにきれいに分かれるものではありません。

違法ではないけれど、
誰かを深く傷つけてしまう行為もありますし、

逆に、
違法ではあっても、
単純に「悪いこと」と言い切れない事情を含んでいる場合もあります。

法律は、
問題を整理するための
とても大切な道具ですが、

「正しさ」そのものを、
すべて決めてくれる装置ではないのです。

「違法ではない」ことと、「許せる」ことは別の問題

ここで、
もう一つ大切な点があります。

「違法ではない」ということと、
「それを許せるかどうか」は、
まったく別の問題だということです。

例えば、
こんな場面を想像してみてください。

ある人が、
事実ではあるものの、
他人にとってとても恥ずかしい過去を、
インターネットに書き込んだとします。

内容自体は事実で、
名誉毀損やプライバシー侵害に当たるかどうかも、
ぎりぎりのところだったとします。

法律上は、
「違法とは言えない」
という結論になるかもしれません。

けれど、
書かれた本人にとっては、
その出来事が原因で人間関係が壊れたり、
仕事に影響が出たり、
長く苦しむことになるかもしれません。

このとき、

「違法ではないから問題ない」

と、
心から納得できる人は、
それほど多くないのではないでしょうか。

逆に、
こんな場合もあります。

誰かが、
ルールに反する行為をした。
たしかに法律上は「違法」と評価される。

けれど、
その背景には、
追い詰められた事情があったり、
他に選択肢がほとんどなかったりして、

単純に
「悪い人だ」
「許されない人だ」

と、
言い切ることができない場面もあります。

もう一つ、
判断を難しくする場面があります。

それは、
相手の行為が違法だと評価される場合であっても、
その行為に至った経緯や、
行為のあとに取った自分の行動によっては、
かえって自分が強く非難されてしまうことがある、という点です。

例えば、
法的には相手に一定の責任がある場面でも、

その事実を強い言葉で公表したり、
相手を追い詰めるような形で責任を求めたりすると、

周囲からは、
「そこまでやる必要があったのか」
「やりすぎではないか」

と見られてしまうこともあります。

法律の上では「正しい側」にいても、
その進め方や態度によっては、

結果として、
自分の方が強い非難の対象になってしまうことがあるのです。

ここでも、

「違法かどうか」と、
「どう行動すればよいか」は、
必ずしも同じ問題ではありません。

このように、

「違法かどうか」は制度の話であり、
「許せるかどうか」「納得できるかどうか」は、人の心の話です。

この二つは、
本来、
別の軸で考えるべきものですが、

現実のトラブルでは、
とても簡単に混ざってしまいます。

「違法だから、絶対に許せない」
「適法だから、文句を言うべきではない」

そんなふうに考えてしまうと、

本当は何に一番苦しんでいるのか、
何を解決したいのか、

その大事な部分が、
見えにくくなってしまうことがあります。

裁判所の判断は、「正しさ」ではなく「線引き」である

ここで、
もう一つ大切な視点があります。

裁判所の判断は、
必ずしも
「何が正しいか」
を決めているわけではない、
ということです。

多くの人は、

「裁判で勝った」
「裁判で負けた」

という言葉から、

「自分が正しかった」
「相手が間違っていた」

という結論を想像しがちです。

けれど、
裁判所が本当にしているのは、

「この紛争を、どこで区切るか」

を決めることです。

裁判所は、
誰がより善い人か、
誰の気持ちが正しいかを、
決める場所ではありません。

証拠と法律のルールに従って、

・どこまでを許すか
・どこから先を認めないか
・どこで責任を区切るか

その線を引くことで、
争いを終わらせる場所です。

だから、

「違法性あり」
「違法性なし」

という結論も、

「この出来事のすべてを評価した結果」
というより、

「制度として、ここで線を引く」

という意味合いに近いものなのだと思います。

裁判所の判断は、
問題を整理し、
紛争を終わらせるための、
とても重要な役割を果たしています。

けれどそれは、

「この出来事は本当に正しかったのか」
「この人の苦しみは十分に扱われたのか」

といった問いに、
必ず答えてくれるものではありません。

裁判で決着がついても、

「納得できない」
「気持ちが整理できない」

と感じる人がいるのは、
決して珍しいことではありません。

それは、
裁判所の判断が間違っているからではなく、

裁判所の役割と、
私たちが本当に知りたい答えとが、
もともと少し違っているからです。

だからこそ、「自分は何に困っているのか」に戻る

ここまで見てきたように、

「違法かどうか」と、
「正しいかどうか」は、
必ずしも同じではありません。

法律は、
問題に線を引くための大切な道具ですが、

それだけで、

「自分はどうしたいのか」
「この出来事をどう区切りたいのか」

という問いに、
答えてくれるわけではありません。

だからこそ、
ここで一度、
視点を戻してみることが大切です。

本当に困っているのは、

評価でしょうか。
お金でしょうか。
関係でしょうか。
それとも、
気持ちの整理でしょうか。

違法かどうかは、
そのための大切な材料ではありますが、

それ自体が、
目的になることは、
ほとんどありません。

本当に知りたいのは、

「この状況を、どう終わらせたいのか」
「自分は、何を取り戻したいのか」

という点ではないでしょうか。

法律は、
その答えを決めてくれるものではなく、

その答えに近づくための、
いくつかの道筋を示してくれるだけです。

だから、

「違法かどうか」だけに答えを求めるのではなく、

まずは、

・自分はいま、何に一番困っているのか
・何が解決すれば、少し楽になるのか
・この出来事を、どう区切れたらいいのか

を、
静かに整理してみる。

そこから考え始めた方が、

距離を取るのか。
関係を切るのか。
誰かに責任を求めるのか。
それとも、何もしないのか。

その後の選択は、
ずっと自然な形で、
少しずつ見えてくることが多いのです。

どの段階から整理しますか

インターネット問題は、必ずしも手続から始まるわけではありません。

いまの自分の状況に合わせて、整理する段階を選ぶことができます。