「名誉毀損」と「侮辱」。
インターネットの問題を調べていると、
この二つの言葉を、
並んで目にすることがよくあります。
どちらも、
人を傷つける言葉に関係するもの。
だから、
「結局、どちらも同じなのではないか」
「言い方の違いにすぎないのではないか」
そう感じる人も、
少なくありません。
けれど、
法律の世界では、
この二つは、
はっきりと区別されています。
そして、
この区別は、
単なる用語の違いではなく、
「どこからが問題になるのか」
「どんな対応が可能なのか」
「争うべきか、距離を取るべきか」
といった判断に、
直接影響するものです。
この回では、
いきなり条文や要件に入るのではなく、
なぜ法律は、
名誉毀損と侮辱を分けて考えているのか。
その違いを知ることで、
何が見えるようになるのか。
そこから、
整理してみたいと思います。
人を傷つける言葉は、すべて同じではない
インターネットを見ていると、
強い言葉や、
刺のある表現に出会うことがあります。
読んでいて不快になる。
胸がざわつく。
「これはひどい」と感じる。
そうした反応が生まれるのは、
とても自然なことです。
けれど、
法律の世界では、
「人が傷ついたかどうか」だけで、
すべてを同じように扱っているわけではありません。
同じように不快で、
同じように傷つく言葉であっても、
法律上は、
問題になるものと、
ならないものが、
はっきり分かれることがあります。
この点に、
違和感を覚える人もいるかもしれません。
「こんなに傷ついているのに、
なぜ問題にならないのか」
「同じくらいひどい言葉なのに、
扱いが違うのはおかしいのではないか」
そう感じるのも、
無理はありません。
ただ、
法律が見ているのは、
傷ついたという結果だけではなく、
その言葉が、
どのような性質を持っているのか、
どのような形で人に向けられたのか、
という点です。
たとえば、
同じ出来事でも言い方で性質が変わる、ということを、
職場の会議の場面で考えてみます。
ある業務について、
「◯日までに対応する」という期限が決まっていたにもかかわらず、
実際には、その期限が守られなかった場面です。
その会議の中で、
次のような言葉が並んだとします。
「今回の対応は、期限より三日遅れていました」
「正直、進め方に不安を感じました」
「期限を守れなかった〇〇は、こんな基本的なことも守れない人です」
「〇〇は、仕事ができません」
どれも、
同じ出来事をきっかけにした言葉です。
けれど、
この四つの言葉は、
同じ性質を持っているわけではありません。
最初の二つは、
起きた事実を指摘したり、
その出来事をどう受け取ったかを述べたりしている言葉です。
一方で、
後の二つは、
その出来事を材料にして、
特定の人物の価値や能力を断定する言葉になっています。
同じ場面で語られ、
同じように聞く人を不快にさせる可能性があったとしても、
法律は、
これらを同じものとしては扱いません。
どこまでが事実の指摘なのか。
どこからが評価なのか。
人格そのものを貶める表現になっていないか。
そうした点を、
一つずつ切り分けて考えようとします。
その代表的な区別が、
「名誉毀損」と「侮辱」です。
どちらも、
人を傷つける言葉に関わるものですが、
問題にしているポイントは、
同じではありません。
この違いを理解すると、
「なぜこれは問題になりやすいのか」
「なぜこれは、違法とは言い切れないのか」
そうした判断の構造が、
少し見えやすくなってきます。
名誉毀損とは、何を問題にしているのか
名誉毀損という言葉を聞くと、
「事実かどうか」
「本当のことを書いたのか、嘘だったのか」
そうした点が、
まず思い浮かぶかもしれません。
実際、
名誉毀損の問題では、
事実が示されているかどうか、
という点が、
一つの大きなポイントになります。
けれど、
名誉毀損が問題にしているのは、
単に、
その内容が事実だったかどうか、
という点だけではありません。
名誉毀損が守ろうとしているのは、
その人が、
社会の中でどのように見られているか、
という評価です。
仕事を任せられる人か。
信頼できる人か。
安心して付き合える人か。
そうした、
社会的な評価が、
特定の言葉によって、
不当に下げられてしまうことを、
問題にしています。
たとえば、
先ほどの職場の会議の例で言えば、
「今回の対応は、期限より三日遅れていました」
という言葉は、
起きた出来事を指摘しているにすぎません。
しかし、
その出来事をもとにして、
「期限を守れない人だ」
「基本的なこともできない人だ」
という評価が、
事実であるかのように広められていくと、
その人の社会的な評価は、
大きく下がっていきます。
名誉毀損が問題にするのは、
こうした評価の低下が、
本人の言動や能力とは切り離された形で、
固定されてしまうことです。
ここで重要なのは、
「本当のことかどうか」だけでは、
十分ではない、
という点です。
仮に、
ある出来事が事実だったとしても、
それを、
どのような文脈で、
どのような言葉で、
どの範囲に向けて伝えたのかによって、
社会的評価への影響は、
大きく変わります。
ある場面では、
共有されるべき情報であっても、
別の場面では、
その人の評価を下げるためだけに
使われてしまうこともあります。
だから、
名誉毀損の問題では、
事実かどうか、という点と同時に、
その言葉が、
社会の中で、
どのような評価を生み出したのか、
という点が、
丁寧に見られることになります。
名誉毀損とは、
「事実を語ったかどうか」ではなく、
「人の社会的評価を、
どう扱ったのか」
を問う考え方だと言えるでしょう。
侮辱とは、どこが違うのか
名誉毀損が、
具体的な事実を示すことによって、
人の社会的評価が、
事実であるかのように下げられてしまうことを
問題にしているのに対して、
侮辱は、
少し異なる角度から、
人を傷つける言葉を捉えています。
侮辱の特徴は、
具体的な事実を示さなくても、
成立しうる点にあります。
つまり、
「何があったのか」を語らなくても、
その人の価値や能力について、
否定的な評価を、
直接的に投げかける言葉そのものが、
問題になるのです。
先ほどの例で言えば、
「〇〇は、仕事ができない」
「〇〇は、無能だ」
といった言葉は、
特定の出来事を示していなくても、
聞いた人や読んだ人に、
「この人は、
評価の低い人物なのだ」
という印象を、
強く与えます。
このような言葉は、
社会の中での見られ方を下げる力を持つと同時に、
本人の尊厳や名誉感情を、
直接的に傷つける性質も持っています。
だから、
事実を示していないからといって、
「意見だから」
「感想だから」
という理由だけで、
必ずしも問題にならない、
とは言えません。
特に、
インターネット上では、
短い言葉や、
断定的な表現が、
文脈から切り離されたまま、
広く拡散されることがあります。
その結果、
事実を伴わない言葉であっても、
評価を下げる印象や、
人格を否定するイメージだけが、
一人歩きしてしまうことがあります。
侮辱が問題にされるのは、
こうした言葉が、
社会的評価と、
個人の尊厳の双方に、
影響を与えうるからです。
名誉毀損と侮辱は、
どちらも、
人を傷つける言葉に関わりますが、
その言葉が、
どのような形で評価や尊厳に作用しているのか、
見ているポイントは、
同じではありません。
区別することで、何が変わるのか
ここまで見てきたように、
名誉毀損と侮辱は、
どちらも人を傷つける言葉に関わりながら、
見ているポイントや、
問題にしている構造が異なります。
この違いは、
単なる分類の問題ではありません。
実際の場面では、
「何ができるのか」
「どこまで期待できるのか」
「どんな選択が現実的なのか」
といった判断に、
直接影響してきます。
たとえば、
削除を求めるのか。
発信者を特定するのか。
損害賠償を請求するのか。
それとも、距離を取るのか。
こうした選択肢の見え方は、
問題になっている言葉が、
名誉毀損なのか、
侮辱なのか、
あるいは、
どちらとも言い切れないものなのか、
という点によって、
大きく変わります。
名誉毀損として捉えられる場合、
社会的評価への影響が、
比較的はっきりしていることが多く、
削除や、
発信者情報の開示、
損害賠償といった対応を、
検討しやすくなることがあります。
一方で、
侮辱として問題になる場面では、
言葉の強さや、
文脈、
広がり方によって、
対応の見通しが、
大きく変わることもあります。
民事の問題として考える場合には、
どの程度の表現までが許容されるのか、
という線引きが、
判断のポイントになることもあります。
同じように不快であっても、
法的な対応が、
必ずしも同じ結果につながるとは限りません。
また、
刑事の問題として考えるのか、
民事の問題として考えるのかによっても、
選ぶべき道は変わってきます。
処罰を求めるのか。
被害の回復を目指すのか。
早く区切りをつけたいのか。
何を目指すのかによって、
「争う」という選択が、
最善ではない場合もあります。
ここで大切なのは、
どの区分に当たるかを、
正確に言い当てることそのものよりも、
その区分が、
自分の置かれている状況や、
望んでいる解決の形と、
どう結びつくのかを考えることです。
名誉毀損か、
侮辱か、
という整理は、
誰かを責めるためのラベルではなく、
自分にとって、
どの道が現実的なのかを見極めるための、
一つの目印にすぎません。
区別することは、
結論を急ぐためではなく、
選択肢を整理するためにあります。
言葉を区別するのは、争うためではない
ここまで、
名誉毀損と侮辱の違いを、
構造の面から整理してきました。
けれど、
この区別は、
誰かを責めたり、
正しさを競ったりするためのものではありません。
法律が言葉を細かく分けて見ているのは、
人を傷つけたかどうか、
という結果だけでなく、
その言葉が、
どのような性質を持ち、
どのような形で人に向けられ、
どのような影響を及ぼしうるのか、
という点を、
できるだけ丁寧に捉えようとしているからです。
その整理を通して、
削除を求めるのか。
特定を進めるのか。
請求を考えるのか。
距離を取るのか。
何もしないのか。
自分にとって、
どの選択が現実的なのかを、
考えやすくする。
それが、
区別することの本当の意味です。
「これは名誉毀損だ」
「これは侮辱だ」
と、
言い切ることが、
ゴールではありません。
むしろ、
その言葉が、
どこまで届き、
どの程度の影響を持ち、
自分の生活や気持ちに、
どんな形で残っているのか。
そこに目を向けることの方が、
大切な場面もあります。
インターネットの中では、
「悪意があったのか」
「わざとだったのか」
という問いが、
先に立ちがちです。
けれど、
次に考えるべきなのは、
悪意があったかどうか以前に、
その言葉が、
どんな結果を生み、
どんな責任につながりうるのか、
という点かもしれません。
どの段階から整理しますか
インターネット問題は、
必ずしも手続から始まるわけではありません。
いまの自分の状況に合わせて、
整理する段階を選ぶことができます。